田舎暮らし通信 『むらまつ』

原点

1999年ごろだったと思う、本やカレンダーで良く見ていた「星野富弘」氏の原画を群馬県東村(当時)の富弘美術館へ見に行った。体育の先生時代に鉄棒から落ちて脊椎を傷め首から下が麻痺して動かなくなったため、ベッドに横たわり口に絵筆をくわえて絵を描いていることは良く知っていた。
しかし、その絵や文字が実に綺麗なのに何の疑問も抱いていなかった。
ところが美術館で初期の絵や文字を見ると失礼だがミミズの這ったような字とよく言われるよく読めない字、幼児が鉛筆でいたずら書きしたような絵だった。
こんなところから始めてあれほど素敵な絵や文字が書けるようになったのだと思ったらすごいショックを受けた。
手が使えず、口に絵筆をくわえてでも一生懸命練習すればあんなにうまくながのだと思うとその努力は並大抵のものではなかったと思う(勿論センスもあったのだと思うが)。
その時初めて両手が使える自分も練習すればもっと早く上達できるのでは・・・と思い立ち絵を描くキッカケとなった。
ところがそれがとんでもない思い上がりであったことを思い知らされる。
小、中学校の図工の時間以来絵などというものを描いたことが無い。
どのように描けばよいのかどのように塗ればよいのか皆目分からず、全く絵とは程遠いものしか出来なかった。
そこで本屋に行き、絵画関係の本を片っ端から見たり、これはという本を買ったりしながら基本中の基本を読んでは試みた。
ほんの少し分かりかけてきたときに出会ったのが、「中島清隆」氏の絵だった。
ボールペンで下絵を描いて軽く着彩する淡彩スケッチ画だった。
こんな絵が描きたいと思い、氏の本を何冊か買いひたすら真似をしてみた。
これが自分の絵の原点なのだ。
そして少しずつではあるが絵らしきものが描けるようになり中島流まがいの絵を沢山描いた。
そうなると描くのが楽しくなり、いろいろなものを描いた。
そんなころ、2001年にカンボジアのアンコールワットの遺跡、や去年大水害のあったタイのアユタヤの遺跡を見学して帰国後、写真をもとに毎日1枚ずつ絵葉書を描いた。
描いているとその時のことが楽しく思い出され、更に描くのが一層楽しく、毎日夢中で描いた。
10枚描いたところでプリントし表紙をつけて、一緒に行った人たちに上げたところ、写真は皆が撮ってきたので沢山あるが絵は誰も描いていないのでとても喜ばれた。
中にはこんな絵葉書どこに売っていたの?という人もいてうれしかった。
その後も中島流の描きかたで色々な絵、特に草花や野草を描いてはプリントを人にあげてよろこばれた。
ところがだんだん慣れてくると、あんな描きかたはどうかこんな描きかたはどうかと色々な描きかたを真似たところ全く一貫性の無い絵になり、しまいには自分のスタイルというのがなくなってしまった。
こうなると一時期のように描くのが楽しいという感覚がうすれてきて、現在は「ブログに載せる絵を描かなくちゃ」みたいな感じになり描いた絵を見ても面白味がない。
きっと見る人にも伝わるものが無いのではないかと思う。
他人はお世辞でうまいとか素敵とか言ってくれるが、家内や子供達の評価は辛辣である。
そんなことを考えていたつい最近、図書館で久しぶりに「中島清隆」氏の本に出会った。
思わず見入ってしまい、これが自分の原点だったのだという思いがよみがえった。
早速借りてきて、念入りに念入りに読み、研究中である。
もう一度真似から入り、原点に戻り、自分のスタイルを造ろうという思いを強くした。
誰が見ても「大竹の絵だ」と言われるようなスタイルを作り、また楽しく描けるようがんばってみたい。

アンコール2 アンコール3 アンコール1 アユタヤ
こんな絵を描いていた頃はとても楽しかった。



  1. 2012/03/04(日) 21:09:54|
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