田舎暮らし通信 『むらまつ』

江戸時代がひとつ消える

村松はちっぽけな城下町である。
面影はあまりないが武家屋敷と称するものもいくらかは残っており、吾輩も何代目か定かではないが士族の末裔ではあるようだ。
まだ手書きの頃に戸籍謄本を取ると「士族」と書かれていたのを覚えている。
我が家にも武家屋敷と称するものが残ってはいるが250年以上の年月を経ているため、外壁も屋根もすっかり変更され武家屋敷と呼べるような代物ではない、昔の儘と言えば骨組みと格子くらいのものだろう。
いずれにせよここは城から離れているため下層階級の武士の住むエリアだったようだ、代々世襲の「権助」という名前からしていかにも下級武士のように思える。

子供のころに刀箪笥というものがあり刀のさやだけが5~6本、長押には槍の柄だけが3本かけてあったのを覚えている、中身は戦時中、他の金属とともに鉄砲玉にするということで国に供出させられたという。
子供の頃には小さいながらも池や日本庭園、土蔵もあって少しは風格があったように記憶しているが、50年以上人が住んでいないし土蔵もなく、庭も更地になりただのボロ家でしかない。

一応わが城下町の歴史本には名前が載っている
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いつのころの建物か定かではないが、我が家の先祖代々の過去帳を見てみると文化、文政とあるので江戸末期の頃と思われる、文化9年没の人が50歳位で死んだと仮定すると宝暦年間生まれとなり、旧町名の宝町は宝暦の宝を採って宝町としたといわれているので年代が一致するため250年前頃と推察される。
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また過去帳の最初に載っている先祖らしき人物の亡くなった文化9年というのは西暦1812年となるが、奇しくも1812年と言えばクラシック音楽好きの人はかの有名なチャイコフスキーの序曲「1812年」を想像するだろう、ナポレオンがロシアに遠征し、敗退したことを曲にしたといわれ、フランスでは演奏されないとも言われている。
我が家の解体をきっかけに歴史の勉強にもなり、こんなところにつながっているのかと思うと興味深い。

今まで気にも留めていなかったが、いざ壊すとなるとこれが江戸時代に作られたものかと感慨深いものがある
武家屋敷だけあって間仕切りは襖と障子しかないが、それらを取り払うと結構広く感じる
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この格子は武家屋敷特有のものでいくつかのバリエーションがあるらしい
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今は産廃処理が厳しくなって解体作業も、紙、木、ガラス、トタン、襖や障子の紙も剥がす等々細かく分別しながらやらなければなないので手間がかかるようだ。

永井荷風ではないが襖の下張り、ここにも江戸がある
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角地に建っているため昨今各地で空き家の崩壊が問題になっている折、大雪などでどちら側に倒れても公道にかかってしまうため早めに解体しようということになった訳だが、我が家の歴史の一端としてここに残しておきたいと思った次第である。
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  1. 2017/09/07(木) 18:45:35|
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